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1974年イギリス・ストークオントレントにて父Pater、母Janの長男として産まれる。両親はロビーが3歳の時に別れ後に離婚しているがロビーには大きなショックはなかったそうです。しかし結婚に対しては懐疑的になり30代の後半までは結婚はしたくないと言っている。10歳離れたお姉さんも30過ぎまで独身で花屋を経営していたそうです。
子供の頃の思い出と言えばロビーのママはパブを切り回していて自分の目の届く所にいつもロビーを座らせていた。しかし、その目を盗んで二階の窓から色んな物をばらまくのが好きだった。傑作なのはパブのレジから2000ポンド(当時レシートで80万円くらい)を出しお札を窓からばらまいてしまった。ロビーの家の隣は競技場でその日はたまたま土曜日でサッカーの試合が行われ人出の多い日でもあり、あまりの事にママは目が点になってしまったそうな。でもママはロビーがどんだけイタズラっ子だったかを話すのが大好きみたいです。

少年時代のロビーはティーンエイジャーみんながするような事をしていた。楽しんで、ワルくもなく、そしてもちろん女の子にも興味を持ち出したとか。中学校の初登校日はホリデーに出かけてて欠席した為間違ってレベルの高いクラスに入れられて気付いてもらうのに一ヶ月かかったらしい。おかげでロビーはレベルの高いクラスで落ちこぼれになってしまった。(笑)ドキドキ(笑)初体験は15歳の時。リヴァプール出身の転校生。彼女はロビーにベタ惚れで「あなたと寝たい!」と言い続けて遂にロビーをゲット!金曜の午後ロビーのベッドルームでの出来事でした。
「ニューキッズオンザブロックのようなバンドを作る。メンバー募集」の広告を見てオーディションを受ける。お芝居やミュージカルに出た経験もあったのでもちろん合格。

ゲイリー・マーク・ジェイソン・ハワードと91年9月TAKE
THAT結成!決して順調な滑り出しではなかったがそのお陰で自惚れる事なくしっかり地に足をつけていられた。この頃TAKE
THATは新たな飛躍のためにルールを作った。成功する為に自分達でルールを作りそれを守る事にした。以降、着々と人気度をあげてチャートで一位を常に取ると言うビートルズ以来の快挙を遂げる。ロビーは「今までで一番優しい気持ちになれた事は?」と言うインタビューに「TAKE
THATの初ヒットがでたときのこと。パブにいた人みんなにビールをおごってしまった」と言っている。当時このインタビューを読んだ私まで優しい気持ちになれました。しかし、何者にも変化は免れない。
95年7月、ロビーが脱退した。それ以前からマーク以外のメンバーと何かと衝突していたロビーの脱退はTAKE
THAT通ならそれほど驚くことではなかったと言われている。ロビーはクリスマスまではTAKE
THATのメンバーとして活動していくつもりだった。ロビーは仲の良い友人にTAKE
THATはクリスマスに解散するともらしていたので脱退を言い出したものの本当はバンドの解散と時期を合わせたかったのかもしれない。
クリスマスまでは一緒に活動すると言ったロビーにメンバーの二人からやめるなら今すぐやめろと勧告されたと言われている。その心の準備が出来ていなかったロビーは泣きながら家に帰ったそうだ。ロビーの脱退によりTAKE
THATが作り上げてきた完璧なバランスが崩れた。皮肉なのはロビー脱退を機にもう一度頑張ろう!とグループの中に出てきたことである。だけど一度崩れ出したらどうしたって立ち直る事は出来ない。
96年2月13日突然の解散記者会見が開かれたのでした。TAKE
THATを離れた事で色々な人がロビーの周りを取り巻き一時彼は誰が信用できて誰が利用する為に寄ってきたのかわからなくなっていた。ノエル・ギャラガー(オアシス)の紹介でマネージャーとプロデューサーを見つけたものの長年付き合った仲間ほどの信頼関係は一朝一夕には生まれない。
この頃、ロビーは最も信頼する友人に夜中に電話している。「どうしていいかわからない」とすすり泣くロビーに彼は望む言葉を言ってあげられなかったと言う。ロビーが電話をして来た時もう一人の友人の話を聞いたばかりだったそうだ。彼女は父親がもう治らない病気で自分がなにも出来ない事で絶望していた。そんな絶対的な不幸を抱えた人もいるのに・・・と思うとロビーが甘えてみえてしまったと。ロビーは若くてハンサムでお金も持ってる。それでも自分を不幸だと言うのは、もう気持ちの問題なんじゃないのかな。と語った。
確かにロビーは恵まれていた。でもお金もいつまでもある訳じゃないし若いからこそ故悩むし不安を抱えていたのでしょう。バンドを抜けロビーは一人でいる事が耐え切れずパーティーばかりを開き莫大な金額を使いすぎていた。バンドを脱退してからTAKE
THATが解散するまでの半年間はかなりつらいものだったようです
スマッシュ・ヒッツ誌の解散特集号ではロビーは心中を激白した。これはあのロビーが言ってるの?と当時信じられない程悲しい記事でした。「マークだけが心配」と強調しているロビー。TAKE
THATもネッシーもそう変わりはしない。TAKE
THATは神話の中でのみ存在して現実には決して存在しない。TAKE
THATの正体を見るよりもネッシーの正体を掴む方がチャンスは大きいだろうと言っている。

96年8月RCARecordsからChrysalis
Recordsに移籍。初ソロシングル「Freedom」リリース。(ジョージ・マイケルのカバー曲)チャートでは第二位になるという順調(?)なスタートでした。決して前途有望なスタートとは言えなかったが、それでもロビーは一歩一歩前に進んでいこうと決意する。運が向いてきたのは同96年、シンガーソングライターのガイ・チェンバースと出会いロビーの今後を大きく変えていった。この時ロビーの運命と言っても過言ではないあの名曲「Angels」を制作。2ndシングル「Old
Before I Die」と、ソロデビューアルバム「Life
Through A Lens」の両方がイギリスで好成績を収める。翌年、2ndソロアルバム「I've
Been Expecing You」をリリース。98年にはかの有名なロックフェスティバル「グラストンヴェリーフェスティバル」にも出演。この日雨だったグラストンヴェリーはロビー出演時には晴れ渡り大きな虹が架かったと言われている。約8万人の観衆で埋め尽くされ永遠の名曲「Angels」を全員で大合唱となり大きな感動をよんだ。

2001年、ロビーは自らのルーツであるフランク・シナトラやディーン・マーティン、サミー・デイヴィスJrなどのスウィング・ミュージック懐かしのスタンダード・ナンバーを集めた名曲カヴァーアルバム「Swing
When You're Winning」をリリース。50人のビッグ・バンドを従えアルバム録音もLAのキャピトル・スタジオで行って本格的な仕上がりに。熱烈なスウィングジャズ信者のロビーだけに名曲を深い尊敬の念を込めてじっくりと歌い上げニコール・キッドマンとのデュエットの「Somethin'
Stupid」は同年のクリスマスチャート第1位に。ロビー自身も「これほどハッピーな気持ちになれたのは今まで一度も無かったしこれほど楽しんだ事も無かった」と語っている。
そして由緒あるロイヤル・アルバート・ホールにてショーを行った。ラストナンバーである「My
Way」ではロビーの瞳から涙がこぼれ落ちそうになり最高のパフォーマンスだったと言う。

2002年、前作から一年後に『 Escapology
』をリリース。もちろん全英チャート初登場1位に。そして翌年の2003年にローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、クイーンなど、多くのビッグ・アーティストたちが音楽史に残るライヴ・アクトを繰り広げた、UKが誇る世界最大級の野外コンサート会場、ネブワース・パーク。96年にオアシスが樹立した、2日間で25万人という動員記録を7年ぶりにロビーが塗り替えました。 8月1日から3日までの3日間にわたって行われた野外コンサートを連日ソールドアウトとし、述べ37万5千人を動員した歴史的なライヴとなりました。

2004年、長年のコラボレーターだったガイ・チェンバーズと決別しデュラン・デュランのオリジナル・メンバーとしても知られるスティーヴン“ティン・ティン”ダフィと共作シングル「Radio」をリリース。同年ロビー初のベスト・アルバム『
Greatest Hits
』をリリース。「ブリジット・ジョーンズの日記2」でフィーチャーされている「Misunderstood」も収録。2005年『Escapalolgy』以来2年ぶりとなる新作を発表する。タイトルは『Intensive
Care』全英チャート初登場1位。
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