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ロビー・ウィリアムス

Robert Peter Maximilian Williams
『Maximilian』とはロビーのミドルネームです。
洗礼命名の時に授かった名前。
出生証明書には記録されていません。

1974年2月13日生まれ 水瓶座 
イングランド・ストーク・オン・トレント出身
185 cm (6 feet 1 inch) 体重は常に変動あり
目・グリーン 両目近視 髪・ダークブラウン

ロビーはユニセフ本部が任命する親善大使とは別にそれぞれの国内でユニセフの活動への理解を深め、ユニセフへの支援をお願いする活動に協力する国内大使を2000年より任命しています。

ロビー、イギリスUNICEF協会大使
子供達のためにエイズと闘おう

ゲーム全般

ロビーはゲーム大好き!お部屋は子供達の夢のようなお部屋で殆どの機種のゲームが揃ってます。X-BOXのタイガーウッズのゲームは一日10時間やったとか。

食べ物

ロビーは日本食でお寿司が大好き!特に鉄火巻き(赤身のマグロ)なんだそうです。わさびもいけるとか。自動販売機で買う缶コーヒーも大好きだそうです。甘くて冷たいBOSSやジョージアがお気に入り。

サッカー ポート・ヴェール/Port Vale(イングランド)

ロビーは地元チーム、ポート・ヴェールの熱烈なサポーターです!
ロビーはよくチームのサッカーシャツを着てコンサートをしストーク・オン・トレントに戻ると必ずチームの試合を見に行く。母親がチーム練習場の隣でパブを経営していて子供のころから毎日チームの練習を見て育ったという「将来はポート・ヴェールFCでレフトウィングを走りゴールを決めたいと夢見ていたよ。今もその夢をあきらめてはいないよ!」
そんなロビーですが、2006年3月にポート・ヴェールの株主となりました。株主になった喜びをこう語っている。「ヴェールの試合にちょくちょく足を運ぶことはできないけど、株主になることで、僕がどれだけチームのことを考えているかわかってもらえると思う。僕は熱烈なサポーターだよ。この先、チームと一緒に何かできるって思うとワクワクするよ」ポート・ヴェールは資金繰りに苦しんでおり、2006年2月初めに26万ポンド(およそ5,330万円)相当の株が売れ残っていたといわれていた。正確な金額は発表されていないものの、ロビーはこの株のほとんどを買ったのではないかとみられている。

Theresa Jeanette Williams
ロビーのママさん。
The Red Lionと言うパブを切り盛りしロビーを育て上げる。
ロビーはママの事が大好きです。むしろマザコンです

Peter Williams
ロビーのパパさん。
Peter Conwayと言う名コメディアンで現在でも活躍中。
仲が良いんだか悪いんだか不明!

Sally Williams
ロビーのお姉ちゃん。母ちゃんの連れ子なんだそうです。
昔はロビーのファンクラブも運営。
Phoenix from the Flamesは姉ちゃんの歌なんだよ。

幼少期

   

1974年イギリス・ストークオントレントにて父Pater、母Janの長男として産まれる。両親はロビーが3歳の時に別れ後に離婚しているがロビーには大きなショックはなかったそうです。しかし結婚に対しては懐疑的になり30代の後半までは結婚はしたくないと言っている。10歳離れたお姉さんも30過ぎまで独身で花屋を経営していたそうです。

子供の頃の思い出と言えばロビーのママはパブを切り回していて自分の目の届く所にいつもロビーを座らせていた。しかし、その目を盗んで二階の窓から色んな物をばらまくのが好きだった。傑作なのはパブのレジから2000ポンド(当時レシートで80万円くらい)を出しお札を窓からばらまいてしまった。ロビーの家の隣は競技場でその日はたまたま土曜日でサッカーの試合が行われ人出の多い日でもあり、あまりの事にママは目が点になってしまったそうな。でもママはロビーがどんだけイタズラっ子だったかを話すのが大好きみたいです。

少年期

  

少年時代のロビーはティーンエイジャーみんながするような事をしていた。楽しんで、ワルくもなく、そしてもちろん女の子にも興味を持ち出したとか。中学校の初登校日はホリデーに出かけてて欠席した為間違ってレベルの高いクラスに入れられて気付いてもらうのに一ヶ月かかったらしい。おかげでロビーはレベルの高いクラスで落ちこぼれになってしまった。(笑)ドキドキ(笑)初体験は15歳の時。リヴァプール出身の転校生。彼女はロビーにベタ惚れで「あなたと寝たい!」と言い続けて遂にロビーをゲット!金曜の午後ロビーのベッドルームでの出来事でした。

「ニューキッズオンザブロックのようなバンドを作る。メンバー募集」の広告を見てオーディションを受ける。お芝居やミュージカルに出た経験もあったのでもちろん合格。

TAKETHAT時代

  

ゲイリー・マーク・ジェイソン・ハワードと91年9月TAKE THAT結成!決して順調な滑り出しではなかったがそのお陰で自惚れる事なくしっかり地に足をつけていられた。この頃TAKE THATは新たな飛躍のためにルールを作った。成功する為に自分達でルールを作りそれを守る事にした。以降、着々と人気度をあげてチャートで一位を常に取ると言うビートルズ以来の快挙を遂げる。ロビーは「今までで一番優しい気持ちになれた事は?」と言うインタビューに「TAKE THATの初ヒットがでたときのこと。パブにいた人みんなにビールをおごってしまった」と言っている。当時このインタビューを読んだ私まで優しい気持ちになれました。しかし、何者にも変化は免れない。

95年7月、ロビーが脱退した。それ以前からマーク以外のメンバーと何かと衝突していたロビーの脱退はTAKE THAT通ならそれほど驚くことではなかったと言われている。ロビーはクリスマスまではTAKE THATのメンバーとして活動していくつもりだった。ロビーは仲の良い友人にTAKE THATはクリスマスに解散するともらしていたので脱退を言い出したものの本当はバンドの解散と時期を合わせたかったのかもしれない。

クリスマスまでは一緒に活動すると言ったロビーにメンバーの二人からやめるなら今すぐやめろと勧告されたと言われている。その心の準備が出来ていなかったロビーは泣きながら家に帰ったそうだ。ロビーの脱退によりTAKE THATが作り上げてきた完璧なバランスが崩れた。皮肉なのはロビー脱退を機にもう一度頑張ろう!とグループの中に出てきたことである。だけど一度崩れ出したらどうしたって立ち直る事は出来ない。

96年2月13日突然の解散記者会見が開かれたのでした。TAKE THATを離れた事で色々な人がロビーの周りを取り巻き一時彼は誰が信用できて誰が利用する為に寄ってきたのかわからなくなっていた。ノエル・ギャラガー(オアシス)の紹介でマネージャーとプロデューサーを見つけたものの長年付き合った仲間ほどの信頼関係は一朝一夕には生まれない。

この頃、ロビーは最も信頼する友人に夜中に電話している。「どうしていいかわからない」とすすり泣くロビーに彼は望む言葉を言ってあげられなかったと言う。ロビーが電話をして来た時もう一人の友人の話を聞いたばかりだったそうだ。彼女は父親がもう治らない病気で自分がなにも出来ない事で絶望していた。そんな絶対的な不幸を抱えた人もいるのに・・・と思うとロビーが甘えてみえてしまったと。ロビーは若くてハンサムでお金も持ってる。それでも自分を不幸だと言うのは、もう気持ちの問題なんじゃないのかな。と語った。
確かにロビーは恵まれていた。でもお金もいつまでもある訳じゃないし若いからこそ故悩むし不安を抱えていたのでしょう。バンドを抜けロビーは一人でいる事が耐え切れずパーティーばかりを開き莫大な金額を使いすぎていた。バンドを脱退してからTAKE THATが解散するまでの半年間はかなりつらいものだったようです

スマッシュ・ヒッツ誌の解散特集号ではロビーは心中を激白した。これはあのロビーが言ってるの?と当時信じられない程悲しい記事でした。「マークだけが心配」と強調しているロビー。TAKE THATもネッシーもそう変わりはしない。TAKE THATは神話の中でのみ存在して現実には決して存在しない。TAKE THATの正体を見るよりもネッシーの正体を掴む方がチャンスは大きいだろうと言っている。

ソロデビュー

  

96年8月RCARecordsからChrysalis Recordsに移籍。初ソロシングル「Freedom」リリース。(ジョージ・マイケルのカバー曲)チャートでは第二位になるという順調(?)なスタートでした。決して前途有望なスタートとは言えなかったが、それでもロビーは一歩一歩前に進んでいこうと決意する。運が向いてきたのは同96年、シンガーソングライターのガイ・チェンバースと出会いロビーの今後を大きく変えていった。この時ロビーの運命と言っても過言ではないあの名曲「Angels」を制作。2ndシングル「Old Before I Die」と、ソロデビューアルバム「Life Through A Lens」の両方がイギリスで好成績を収める。翌年、2ndソロアルバム「I've Been Expecing You」をリリース。98年にはかの有名なロックフェスティバル「グラストンヴェリーフェスティバル」にも出演。この日雨だったグラストンヴェリーはロビー出演時には晴れ渡り大きな虹が架かったと言われている。約8万人の観衆で埋め尽くされ永遠の名曲「Angels」を全員で大合唱となり大きな感動をよんだ。

2001年

  

2001年、ロビーは自らのルーツであるフランク・シナトラやディーン・マーティン、サミー・デイヴィスJrなどのスウィング・ミュージック懐かしのスタンダード・ナンバーを集めた名曲カヴァーアルバム「Swing When You're Winning」をリリース。50人のビッグ・バンドを従えアルバム録音もLAのキャピトル・スタジオで行って本格的な仕上がりに。熱烈なスウィングジャズ信者のロビーだけに名曲を深い尊敬の念を込めてじっくりと歌い上げニコール・キッドマンとのデュエットの「Somethin' Stupid」は同年のクリスマスチャート第1位に。ロビー自身も「これほどハッピーな気持ちになれたのは今まで一度も無かったしこれほど楽しんだ事も無かった」と語っている。

そして由緒あるロイヤル・アルバート・ホールにてショーを行った。ラストナンバーである「My Way」ではロビーの瞳から涙がこぼれ落ちそうになり最高のパフォーマンスだったと言う。

2002年

  

2002年、前作から一年後に『 Escapology 』をリリース。もちろん全英チャート初登場1位に。そして翌年の2003年にローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、クイーンなど、多くのビッグ・アーティストたちが音楽史に残るライヴ・アクトを繰り広げた、UKが誇る世界最大級の野外コンサート会場、ネブワース・パーク。96年にオアシスが樹立した、2日間で25万人という動員記録を7年ぶりにロビーが塗り替えました。 8月1日から3日までの3日間にわたって行われた野外コンサートを連日ソールドアウトとし、述べ37万5千人を動員した歴史的なライヴとなりました。

2004年

  

2004年、長年のコラボレーターだったガイ・チェンバーズと決別しデュラン・デュランのオリジナル・メンバーとしても知られるスティーヴン“ティン・ティン”ダフィと共作シングル「Radio」をリリース。同年ロビー初のベスト・アルバム『 Greatest Hits 』をリリース。「ブリジット・ジョーンズの日記2」でフィーチャーされている「Misunderstood」も収録。2005年『Escapalolgy』以来2年ぶりとなる新作を発表する。タイトルは『Intensive Care』全英チャート初登場1位